要約
-
LSR基準の正式発表により、土地由来排出量や炭素除去について、算定ロジック・前提条件・データの出所まで説明でき、監査に耐える形で示すことが求められるようになります。
-
食品・原料の製造業や中間業者は、形式が揃わず提供も遅れがちな上流データを整理しながら、下流からの製品別・用途別・監査前提の要求に対応する「調整役」を担っており、現場ではリクエストごとの再構築が常態化しています。
-
LSR基準の下では、こうした属人的・非標準な対応は、単なる非効率ではなく、監査遅延や説明不能につながるコンプライアンス・事業リスクへと変わりつつあります。
-
本記事では、標準化と優先順位付けを軸とした4つの実務ステップにより、LSR対応をリスクではなく運用可能なプロセスへ転換する方法を解説します。
GHGプロトコルの新基準である「土地セクターおよび炭素除去(LSR)基準」は、食品・農業バリューチェーンにおける土地由来排出量データの算定・共有のあり方を大きく変えつつあります。私たちはこのテーマについて、11社・20回以上の顧客インタビューを通じて、上流・中流・下流のどこで実務が滞りやすいのかを整理してきました。
本記事では、その中でも特に中流(中間業者)に焦点を当てます。中間業者とは、原材料の調達・集約・保管・二次加工などを担う食品・原料関係企業を指します。
インタビューから見えてきた中間業者の実情は一貫しています。製品別・用途別の排出データを求める顧客からの要求が、サプライヤーからのデータ提供や社内の業務プロセスよりも速く届くという構造です。LSR基準の正式化により、こうしたギャップは算定の問題にとどまらず、中間業者にとっての業務運営上の課題へと変わりつつあります。
LSR基準が浮き彫りにした「中間業者の構造的課題」

食品・原料の中間業者は、上流の農場現場から届く、形式がばらばらでなかなか揃わないサプライヤーデータと、下流の顧客から求められる、迅速かつ製品別・用途別の排出データ要求の間に立たされています。
ある企業は、サプライヤー固有のデータ収集に数か月、場合によっては1年近くかかると回答しました。この間に生じた遅延を引き継ぎながら、顧客からの要求には対応し続けなければなりません。
さらに、下流の顧客からの要求は、算定の境界条件や保証・監査の前提によってユースケースごとに異なります。ある工業用食品加工業者の担当者は、「技術的に対応できないわけではありません。問題は『量』です。要求はどれも微妙に異なり、再利用できるものがほとんどありません。」と述べています。
加えて、購入品目(スコープ3 カテゴリー1:以降「スコープ3.1」)について年次開示や排出削減目標を掲げる顧客は、購入製品のカーボンフットプリントを毎年更新し、かつ継続的な削減を期待しています。これもまた、中間業者にとって大きなプレッシャーとなります。
ある包装メーカーは、「20社のサプライヤーと同時に深く関わることは、単純にリソース不足で現実的ではない」と、現場に課されている制約を説明しました。
また別の企業は、下図のように終わりの見えない要求対応が続き、対応待ちの案件が積み上がっていく状況にあると語っています。
LSR基準の正式化により、トレーサビリティ、証跡、監査対応の水準は一段と引き上げられました。その結果、中間業者は意図せず、土地排出データに関する「橋渡し」を担う構造に置かれています。

LSR基準は何を変えるのか
LSR基準は、土地由来排出量データに対して「追跡できること」「一貫していること」「根拠を説明できること」を、これまで以上に強く求めます。
これにより、土地由来排出量は 「数値を出せばよい」状態から、「算定の過程や根拠まで示せる」状態へと移行します。
その一方で、食品・原料の中間業を担うチームは、すでに次のような課題に直面しています。
- 一貫性:顧客や報告年度が変わっても通用する、共通の定義や算定境界を維持すること
- 説明可能性:基準の更新や監査にも耐えられる、計算ロジックと根拠を明確に示すこと
- 再利用性:顧客ごとに作り直すことなく、横断的に使い回せるデータ構造を持つこと
LSR基準の正式化は、こうした弱点をより表面化させることになります。
リクエストごとにデータを作り直す運用では、対応に時間がかかり、手直しが常態化します。さらに、算定の根拠が担当者の頭の中や単発のスプレッドシートに散在したままでは、再現性のある資料として整理できず、監査時の指摘や説明負荷が増えることになります。
こうした状況の中で、中間業者のサステナビリティリーダーには、チームの規模を増やすことなく、より多くの顧客要求に対応しながら、土地排出量データを扱う方法が求められています。
人を増やさず進めるLSR・SSBJ対応:
中間業者のための4ステップ
LSR基準への対応や、SSBJを見据えたスコープ3開示において、課題の本質は「作業量」ではありません。限られたリソースの中で、いかに“根拠を明確に説明でき、再利用可能な仕組み”を構築できるかにあります。
実務の現場で有効なのは、次の4つのステップに基づくフレームワークです。
1. 顧客対応可能な「標準データパック」を先に定義する
最初に取り組むべきは、顧客や監査で繰り返し求められる代表的な要求に耐えうる標準アウトプットを、社内で先に定義することです。すべてのリクエストに都度対応するのではなく、「これを出せば大半をカバーできる」データパックを用意します。
標準データパックには、少なくとも以下を含める必要があります。
- 対象製品・活動の境界
(CFPの範囲、報告期間、配分ルール) - 含める土地セクター要素
(土地利用変化、土地管理、炭素除去の有無とその根拠) - データ品質と一次データの位置づけ
(一次/二次データの使い分け、共有ルール) - バージョン管理・変更管理の考え方
(数値が変わった場合の理由と履歴の説明)
この際、PACT(WBCSDのProduct Carbon Transparency標準)などの相互運用可能な国際標準に合わせて設計することが、後工程の手戻りを防ぐ鍵となります。
2. ユースケース別にリクエストを「優先順位付け」する
次に重要なのは、すべてのリクエストを同列に扱わないことです。LSR基準の正式化により、要求の「重み」は明確に異なります。
実務では、リクエストを以下のように分類・整理します。
- 契約条件や取引継続に直結する重要案件
- 規制対応・保証・監査を前提とした案件
- 定常的なサプライヤーモニタリング用途
- 初期段階の探索的・参考値レベルの問い合わせ
この整理によって、「とりあえず全部出してほしい」状態から脱却し、どの項目を、どの粒度で、どの頻度で出すべきかを明確にできます。結果として、チームの工数と説明負荷を大幅に抑えることが可能になります。
3. サプライヤーへの要請を標準パックに合わせて設計する
LSR基準対応では、サプライヤーデータの質がボトルネックになりがちです。
ここで重要なのは、要求の一貫性と反復性、そしてインセンティブ設計をセットで考えることです。
サプライヤーへの要請は、
- 標準データパックに沿った共通フォーマット
- 毎年・毎期同じ構造での反復要求
- 契約上の優先度、長期契約、共同投資などのインセンティブ
と組み合わせることで、初めて改善が進みます。
4. 幅広さよりも“深さ”に投資するフォーカス戦略を取る
現実問題として、すべてのサプライヤーがすぐに協力的になるわけではありません。
また、多数のサプライヤーを同時に深く扱えるリソースはほとんどなく、重要度・顧客からの圧力に応じて優先順位を付けることが商業的にも理にかなっています。
実証例:日本たばこ産業(JT)の成功事例

こうしたアプローチが実際にどのような成果につながるのか。
Terrascopeが支援したJTの事例は、LSR基準やSSBJ対応を見据える企業にとって、非常に示唆に富む実証例です。以下のような成果が得られました。
- 加工食品事業におけるスコープ3.1(購入品およびサービス)排出量を、海外子会社を含む約20社分のデータ形式・前提条件・境界の違いを整理して一元化。
- スコープ3.1の土地由来排出が60%以上であることを特定し、原料・包装の重点領域が明確化。
- 基準年を含む2年分のFLAG排出量算定をわずか1か月で完了。
- FLAGを含む、短期目標のアップデートと長期ネットゼロ目標の設定を完了。
▼ 詳細を読む
日本たばこ産業(JT): 加工食品事業におけるFLAGに係る温室効果ガス排出量の算定をし、SBTi短期・長期目標の認定取得を支援
LSR基準が自社のスコープ3、SSBJ、SBT対応にどのような影響を与えるのか、また食品・農業サプライチェーンにおける実務的な対応の進め方について整理したい方は、ぜひご相談ください。
Terrascopeが実務目線でご支援します。
LSR基準は「新しい作業」ではなく「新しい前提」
LSR基準の正式発表は、企業に追加作業を求めるものではありません。
これまで暗黙のうちに許容されてきたスコープ3・土地由来排出の曖昧さが、もはや通用しなくなったという前提条件の変化です。
SSBJやSBTへの対応を見据える企業にとって、LSR基準は今後のスコープ3戦略とサプライチェーン管理の基盤となります。
この変化を「負担」と捉えるか、「業務を整理し、信頼性を高める機会」と捉えるかが、今後の競争力を左右するでしょう。
関連記事: